幸運だなと思っていたことが実は、不運なことだったり、
不運だなと思っていたことが実は、幸運なことだったことはありませんか?
幸運と不運は分からないものですね。
「幸運と不運は予測しようがない」という意味のことわざに、
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」があります。
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
こんなお話です。
むかしむかしある村に、
馬を持った1人のおじいさんがいました。
貧しい村だったので馬を持っているのは、
このおじいさんだけでした。
農作業もできて、荷物も運べる馬を、
村人たちはうらやましく思っていました。
ところがある日のこと、
この馬がどこかに逃げてしまいました。
「なんて不運なことだ!」と思った村人たちは、
おじいさんをなぐさめに来ました。
しかし、おじいさんは落ち込むことなく
「これが不運かどうかは、分からない」と言いました。
村人たちは、みんな
「不運に決まっているじゃないか!」と言いました。
しばらく経ったある日のこと、
逃げた馬が帰ってきました。
しかも、足の早い馬を連れてきたのです。
無事に帰ってきただけでも運がいいのに、
二頭に増えたのを見た村人たちは、
「なんて幸運なんだ!」と言いました。
ところが、おじいさんは
「これが幸運かどうかは、分からない」と言いました。
そして数年が経ち、
おじいさんの息子が馬に乗っていて、落馬して足を
骨折してしまいました。
村人たちは口をそろえて、
「なんて不幸なことだ!」と言いました。
ところが、おじいさんはまた
「これが不幸かどうかは、分からない」と言いました。
その後、異民族が村を攻めてくるようになりました。
その為に村の若者は軍隊に入るように命令されました。
おじいさんの息子は足を骨折していたので徴兵を免れ、
戦争に行かなくてもよくなりました。
村人たちは言いました。
「なんて幸運なんだ!」
ところがおじいさんは言いました。
「これが幸運かどうかは、分からない」と・・・・
出典:人間万事塞翁が馬
つまり、
馬が逃げたのは不運だけど、不運と限らない幸運になることもある。
馬が増えたのは幸運だけど、幸運とは限らない不運になることもある。
子供が馬から落ちて怪我をして不幸だったが、不幸とは限らない。
怪我のお陰で戦争に行かなくて済み、死なないで済んだ。
ということです。
何が幸運か不運かは予想できないことの例えです。
世の中、本当にわからないものです。
運がわるい、運がいい。
というのは常に変わるのものです。
何が不幸で何が幸せだかは誰にも分からないものです。
私も仕事で同じような体験があるので紹介します。
私は、毎日タクシードライバーとしてお客様を探して町中を走り回っています。
観光都市ですので、たくさんのタクシーが走っています。
どこを走ってもライバルの空車のタクシーが走っているという感じです。
ちょっとでも早くお客様を見つけて乗って頂くために必死です。
僅かなタイミングでお客様を取ったり取られたりがあります。
忙しい時ならすぐまたお客様が見つかりますが、暇な時は
一瞬のチャンスを逃すと次がなかなかないので大変です。
ある時こんなことがありました。
信号待ちしている交差点の前にお客様が手を降って待って
いるので、信号が変わったら乗って頂けると準備していると、
左折や右折のタクシーに先を越されてしまいました。
こんなことはよくあることです。
「なんて不運なんだ!」
もうちょっと信号のタイミングがずれていたら乗って頂けたのに。。
と思ったこともありました。
でも、すぐその先でお客様が手を上げて乗って頂き、
なんと、行き先は長距離だったことも多々あります。
逆に、交差点を右折した先にお客様が手を上げて待っていたので
ラッキーと思い乗って頂きました。
行き先はすぐ近くでしたが・・・
お客様に乗って頂くのは、運が左右する部分があって
ちょっとしたタイミングでお客様の争奪戦があるのですが、
実際、幸運・不運は分からないというのが実感です。
その時はアンラッキーと思っていても、1日を終わってみたら
あの時に、あのお客さんを逃したけど、そのお陰でトントントンと
つながってたくさんのお客さんに利用して頂けたということもあります。
なので、最近は「すべてよし!」としています。
目の前でお客様を取られても、実はラッキーのこともあるし、
ラッキーだと思っていても、次につながらなかったり。
いろいろありますが、結果的に1日終わってみて最後はすべてよかったと
思っています。
一瞬の出来事に振り回されずに、長い目で見るといいですね。
今現在、つらくて不幸だと思っていても、
それは、次の幸運につながることかもしれません。
今が、とても幸せいっぱいでも、
それは、不幸の始まりかもしれません。
何が幸せで、何が不幸なのか?
誰にも分からないことです。
「運」についてどうとらえ、どう考えるかが大切ですね。